YAPC::Asia Tokyo 2015
去年と同様に今年も YAPC::Asia Tokyo へボランティアスタッフとして参加してきた。
ブログを書くまでが YAPC です!って連呼していたので、自分もちゃんと書いておこう。
なぜボランティアスタッフをやるのか
たまに「なんでスタッフするんですか?」っていう感じのことを聞かれるけど、たしかに。なんでスタッフやりたがっちゃうんだろう。
思い返せば、2000 年前半ごろから Perl コミュニティには、お世話になりっぱなしで、 2006 年に YAPC を東京でもやるぞっていう話に、「これは恩返しをするチャンスだ!」と名乗りを上げたのが最初のこと。
この時にはじめて、株式会社はてなの近藤会長にお会いして、一緒にランチに行ったのを今でもおぼえている。
このあたりがきっかけで転職したりして、恩返しどころかまた借りが増えてしまって、次の年の YAPC ではロゴのデザインなんかもやらせていただいたり、懇親会の幹事をしたりした。
2008 年からは京都に引っ越しをして、ちょっと立場もかわったり、できるだけ若いスタッフに行って欲しいという事もあって、しばらく足が遠のいていたのだけど、2013 年に独立してからは、比較的時間に都合もつけやすくなったので、2014 から再度ボランティアスタッフとして参加。
結果として最初と最後の 2 回ずつスタッフで参加させていただくことになった。
スタッフは気もつかうし、体力もつかうし、自分が聞きたいトークに行けないとかもあるんだけど、参加者の方々が楽しんでいるのを見たり聞いたり、直接伝えていただいたりするだけで、ワーイよかった!となってしまうのでやめらないんじゃないかな…たぶん。
印象に残ったトーク
僕はメインホールの進行を担当していて、他のホールのトークはほとんど見れなかったのだけど、お仕事でも少し関りのあった@fukatyatsu さんのトークがメインホールであった。
esa.ioというサービスを作って、会社も辞め、自社サービス開発専業をしているよ。という内容。
この内容、やっぱり自分でサービス開発したいな…と思っている自分にズシりと響いた。
最後のスライドにある
「自分のやりたいことをやって、それで生活できて、それで周りの人を幸せにできると、最高!!!」
ってところ。最高だ。最高!!!
受託の仕事も楽しいし、やりがいはあるんだけど、初心にもどって、もう少し自分の事を考えてみようと思った。
あと「YAPC あるある」というセッションで、@941 さんに名前を出していただいたのが、とても嬉しかった。 まさか@941 さんから「ながやまんみたいになりたかった」と言われるなんて…。
まあもう「みたいになる」どころかサッサと先を越されて、お株奪われまくりですが。
そういえば、会場で挨拶をすると「あ、nagayama さんですか。お噂はかねがね…」という返しを何度もいただいたんだけど、いったいどんな噂がながれているのだろうか…。
次の YPAC は地方でもいいんじゃないか
これで最後の YAPC って事なんだけど、牧さんがクロージングで言っていた通り、YAPC::Asia は別に誰かのものじゃないので、きっと次があるんじゃないかっていう気持ちでいる。
2015 のロゴのモチーフは不死鳥(たぶん)だったし。
ただ、東京で開催するのは大変そう。先人の功績が大きすぎて霞んでみえる。質も量もインフレして、いきなりラスボス戦みたいな事になってる。
それはもちろん素晴しい事なんだけど、次の開催者が二の足を踏むという事もありそう。
だからひとつのやり方として、ガラっと舞台を変えちゃうのも手なんじゃないかなと思った。
たとえば京都なんかの地方都市で、もうちょっとだけ小さな規模でやってみて、そういった、今までの YAPC とはちょっと違った成功事例が増えていくといいんじゃないかなと。
とは言え運営は超大変なので、がんばる人があらわれたら、全力で協力したいと思う。
ありがとうございました
最後に、参加者のみなさん、スタッフのみなさん、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。
またお会いしましょう。ごきげんよう。